ビバ!江戸
大奥の御台所(正妻)・お部屋様はトイレの使用後………共の者に拭かせていた!

将軍でさえ後始末は自分でしたのだが、御台所やお部屋様がトイレに行く場合はお供の御中臈が付き添い、一緒にトイレの中に入りお尻の後始末をしたという。なお、トイレは深さ数間もある深い井戸で使用者の一代の間、汲み出すことはなかったという。そのため臭気を消すため常にお香が焚かれていた。


江戸城大奥


御殿向き(ごてんむき)
・将軍の大奥での寝所
・御台所・将軍の生母や子供の居室
・奥女中の詰所
広敷向き(ひろしきむき)
・大奥の事務を取り扱う広敷役人の詰める役所(大奥の玄関脇の事務室兼警備室)
 広敷用人 御用達(用人の指図によって出入りの商人から買い物を調える役人) 広敷番 広敷伊賀者
長局向き(ながつぼねむき)
・奥女中の住居(二階建ての長屋)

大奥は以上の3区画よりなる。
時代により若干の変化有り。
江戸城大奥の図
大奥 女中の職制
上臈御年寄
(じょうろうおとしより)
大奥の最高位で、儀式・典礼を掌った。京都の公家出身者が多い
御年寄
(おとしより)
大奥の事実上の権力者で、奥向きの万事を差配し、表向きの老中に匹敵する。
御客応答・会釈
(おきゃくあしらい)
将軍の大奥へのお成り及び御三家・御三卿の接待役。
中年寄
(ちゅうどしより)
勤め向きはすべて御年寄の指図に従い、代理も兼ねる。御台所のみに付く。
御中臈
(おちゅうろう)
将軍や御台所の身辺世話役。将軍付きのなかから側室が選ばれる。
御小姓 御台所のお側に給仕し、お煙草、お手水の世話をした。 
御錠口 中奥と大奥との堺(上ノ錠口)に詰めて中奥との連絡役。
御坊主 将軍付きの雑用係。この役のみ中奥に出入りできた。50歳前後の剃髪姿。
表使
(おもてつかい)
御年寄の指図を受けて、大奥一切の買い物を掌った。広敷役人と応接し、大奥の外交官。
御次(おつぎ) 仏間、台子、御膳部、御道具等をつかさどる。催しの際には遊芸を披露した。
御右筆 日記、諸向への達書、諸家への書状をつかさどる。他家への進物をつかさどる。中年寄に準ずる。
御切手(おきって) 七ッ口より出入りの人々を改める役。女中の親または親類が面会に来たときや御用達商人(女性に限った)等切手を渡して本人の部屋に通した。
呉服の間 将軍・御台所の服装の裁縫をつかさどる。 
御三の間 御台所の居間の掃除、湯水・火鉢・煙草盆を取り扱う。御年寄・中年寄・御客会釈・御中臈の雑用係。
以上が御目見得 以下は御目見得以下
御仲居 御膳所に詰めて献立一切の煮焼きをつかさどる。
御火の番 昼夜を通して各局・女中の部屋を幾度となく巡回し火の元を注意する役。
御使番 御年寄の御代参のお供、文書・進物などを受けて御広敷に渡す役。
御末(おすえ)
もっぱら雑用をつとめた。風呂・御膳所の水くみのほか、御三家・御三卿の御簾中登城の際には御広敷から御三の間まで乗物を担ぎ入れる陸尺の仕事もした。御端下(おはした)ともいう。
以上、上臈から御末までが「直の奉公人」。この他上級女中が使っていた部屋方(へやがた)がいた。又者ともいう。
お犬子供 各部屋に5〜6人ずついてまったくの雑用係。用がある場合廊下に出て「きやれ」と呼び、名を呼ぶことはなかった。
その他、仲働きの「合いの間」、飯炊きの「たもん」、全くの雑用をする「小僧」などがいた。

徳川将軍家略系図
徳川将軍家略系図
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御台所(みだいどころ)
将軍の正妻。
御台様と呼びかけた。
三代将軍家光以降、歴代将軍夫人は宮家または上流公卿の姫を迎えた。
御部屋様(おへやさま)
側室が男子を産むと大奥に部屋をもらえたので御部屋様といった。女子を産むと御腹様といった。
補足
江戸城
大奥と中奥の唯一の連絡口が「上の錠口」であった。ここより大奥に入れる男子は将軍のみである。また下の御鈴は将軍生母へ出向く際に使われたといわれるが時代により異なる。
御錠口
御殿向と広敷向との出入り口
七つ口
朝五つ(午前8時)に開き、夕七つ(午後4時)に閉めたところよりこの名が付いた。毎日鑑札をもらった出入りの商人が商品を売りに来た。
(1)「御小座敷御上段」
将軍が奥泊りする際の将軍と御台所あるいは側室との寝所。
(2)「御休息」
御台所の通常の居所。

宿下り(やどさがり)
御次より以下の者は春先に宿下がりが許される。奉公勤続3年目ではじめて6日間、6年目から12日間、9年目から16日間。以降は同じ。

御褥御断り(おしとねおことわり)
三十歳になると御台所も側室も将軍と寝室を共にすることをご辞退申し上げた。

「汚れた方」と「お清」
基本的には将軍付きの中臈が側室になるが、手のつかない者を「お清」と呼んだ。手のついた者は「汚れた方」と言ったという。


終身奉公
建前上は御末に至るまで一生奉公であったが、上臈・御年寄・御客会釈・御中臈を除いて暇を取ることが出来た。




御目見得(おめみえ)
将軍・御台所にお目見する資格のあるもの

御簾中(ごれんじゅう)
御三家・御三卿の妻の敬称。
御三卿(ごさんきょう)
田安・一橋・清水の三家。御三家の次席。
陸尺(ろくしゃく)
かごかき
御宰(ごさい)
高級女中が雇う下男。七つ口の詰め所に控え扶持米を搗屋(つきや:精米屋)に持って行くのが主な仕事で、他に買い物等をさせられた。



三代将軍家光以降、歴代将軍の夫人は天皇家、宮家や公家の姫を迎えた。ただし、11代家斉の正室、茂姫と13代家定の正室、篤姫は薩摩藩島津家の出であるため、公家と養子縁組をしている。


絵島 生島事件
六代将軍家宣の側室お喜世の方に仕えた御年寄 絵島と当代人気随一の歌舞伎役者、生島新五郎とのスキャンダル。
正徳四年(1714)月光院の代参で増上寺に参詣した帰途、木挽町山村座にて遊興したが、大奥の通用口平川門は、暮六ツ(午後六時)が門限で絵島一行が江戸城に戻ったときには、すでに閉ざされていた。このことが表沙汰となり、同行の御年寄宮路はじめ69人の大奥女中、遊興の手引きをした奥医師奥山交竹院、絵島の相手の山村座の役者生島新五郎、座頭の山村長太夫、等々総勢1,500人にも及ぶ人々が処罰された。
絵島は月光院の請願で遠島の所を信州の高遠に流罪となる。
この事件は大奥の勢力争い(天英院と月光院)の犠牲となったものであるといわれている。


 

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