江戸の長屋のトイレは……上半分はオープンだった! |
江戸の方はおおらかだったんでしょうか。使用中も頭部は見える状態です。下側も若干空いています。長屋には若い娘さんもいたんでしょうけど……。下写真参照
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店借人
※ 一般には長屋と言えば、裏長屋のことを言った。
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左は芥溜(ごみため)右が共同トイレ 使用中は頭が見える |
共同井戸 かみさん連中の井戸端会議場 |
室内の様子 (九尺二間の場合)
※このページの写真は江東区「深川江戸資料館」より了承を得て掲載しています。画像転載厳禁 |
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表長屋=表店(おもてだな)
2階部分が住居
裏長屋=裏店(うらだな)
長屋入り口に木戸がある。 |
●共同井戸(井戸と言っても地下水ではなく、江戸では上水を樋(ひ;水を送るための管)で引いた。長屋の住人はここで洗顔や洗濯をした。
●共同便所 上方では雪隠、江戸では惣後架(そうこうか)と呼ぶ。
屎尿は良質な肥料となるため、近郊の農家からくみ取りに来て、野菜やお金と交換した。その取り分は大家さんの懐に入った。
●芥溜(ごみため)
●どぶ(下水)上にはどぶ板を敷いた。各戸流しよりどぶにつながる。 |
店中(たなじゅう)の 尻で大家は 餅をつき
長屋で出る糞尿は、農家に売れた。その取り分は大家のものであった。その代金は年間4、5両にもなったという。餅代ではかわいすぎきもしますが。
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九尺二間(くしゃくにけん)
間口:九尺=約2.7m
奥行:二間=約3.6m
3坪 畳部分は4.5畳
よく言われる長屋の広さ。これより狭いものも、広いもの、2階付きもあった。 棟割り長屋は3方が壁。隣の音は聞こえプライバシーはなかった。
また、あいつぐ火災のため庶民には持ち家志向はなかった。 |
●家賃は立地、間取りで異なるのは今と同じで、他の物価と比べ現在より安かったようだ。 |
蠅帳(はいちょう)
ハエなどが入るのを防ぐための食べ物を入れる用具。 |
●行灯(あんどん)
灯し油を小皿に入れて灯芯を立てて火をつけた。灯し油は菜種油や綿実油を使った。3分の一の値段のいわしやにしんの油(魚灯油;ぎょとうゆ)もあったが燃やすとにおいが臭かった。
行灯の明るさは想像以上に暗く仕切りを開けて直火でないと字も読めなかったという。
●夜具
江戸では幕末まで掛け布団はなく、かいまき(袖のついた綿入れの夜着)を使用していた。 |
蠅帳の上に置かれているのが「箱膳」(はこぜん):普段は各自の食器を収納し、食事の際にはふたを裏返してお膳として使用した。食べ終われば湯などできれいにし、(もちろん湯は飲んだ)箱に戻しいちいち洗わなかった。別に月に数度洗ったようだ。
卓袱台(ちゃぶだい)を使わないのかと思われるが、江戸時代にテーブル(食卓も含め)はなかった。卓袱台が登場したのは明治の中頃以降。 |
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