ビバ!江戸
両国 川開きの花火は………悪病退散を祈願する目的で始まった!?

享保18年(1733)八代将軍 吉宗が前年の大飢饉と疫病コロリ(コレラ)による死者の霊を慰め、厄災を打ち払うため両国 隅田川で川開きを行い、花火を上げさせたのが始まり。


江戸の年中行事


   
※月日はすべて旧暦
正月7日 人日(じんじつ) 七草
正月25日 鷽替(うそかえ) 亀戸天神 境内で買い求めた木製の鷽を袖の中に隠し「替えましょ、替えましょ」と唱えながら互いに交換しあった。一年間の不幸をうそとして払ってしまうともいい、それによって新しい年や幸運を迎えた。
2月初午 初午
(はつうま)
二月最初の初午。稲荷の祭日。初午団子を作り子供たちが集まって太鼓をたたいた。その年の豊作を祈った。
2月8日 針供養 針仕事を休み、折れた針を豆腐やこんにゃくに刺し、針への感謝と裁縫の上達を祈った。ところによっては12月8日。
3月3日 上巳(じょうし) ひな祭り
3月5日 出代り
(でかわり)
下女・下男などが年季奉公で一年契約の勤めを終えて交代する更改期日。半季奉公は春秋2回で、秋は9月5日。寛文八年(1668)よりの定め。
4月8日 灌仏会
(かんぶつえ)
釈迦如来の誕生を祝い 、その像に甘茶を注ぎかけて祝う祭り。花で飾った花御堂(はなみどう)を作り、小盤に釈迦の像を安置し頭上に甘茶を注ぎ、また持ち帰って飲んだ。
5月5日 端午(たんご) 端午の節句。江戸時代より男子の節句となる。武家のものから庶民へとひろがった。
5月28日

川開き(両国)
花火

享保七年(1732)の飢饉の際の死者の霊を慰め悪疫退散を祈願する水神祭。8月28日までの3ヶ月間。
6月15日 山王祭り 赤坂 日枝神社 天下祭り 神田祭と隔年交代で行われた。
6月16日 嘉祥
(かじょう)
厄除けに16個の餅や菓子を神に供えて後に食べる行事。将軍から総登城した大名・旗本に菓子を賜う式があり民間では銭16文を家人に与える風習があった。
6月24日 愛宕参り 火伏せ祈願の行事。この日一日の参詣で千日分の御利益があるという。愛宕権現社は家康が京都愛宕山より勧請した。
7月7日 七夕
井戸替え

住民総出で井戸の水をすべてくみ上げ、掃除をした。
7月26日 二十六夜待
この日の月の出は阿弥陀、観音、勢至の三尊の仏体が拝礼できるという言い伝えがある。築地海の手・湯島天満宮・九段坂下・目白不動尊・芝浦海岸などで行われた。
8月1日 八朔
(はっさく)
天正18年(1590)8月1日(朔日:ついたち) 家康の江戸城入城を記念して、大名・旗本などが白地の単衣で登城し祝辞を述べた。吉原遊郭でもこれに習い遊女は白無垢を着た。
8月15日 放生会
(ほうじょうえ)
仏教の不殺生の思想に基づいて捕らえられた生類を山野や池沼に放す儀式
9月9日 重陽
(ちょうよう)
菊の節句 長寿を願い菊酒を飲む。
9月15日 神田祭り 神田明神 現在は5月15日 天下祭り 山王祭と隔年交代で行われた。
10月初亥 玄猪
(げんちょ)
玄猪祭。亥の刻(午後10時)に亥の子餅を食べる。多産系の猪にあやかり子孫繁栄、万病除去を願った。この日よりコタツを出した(炉開き)
 箱入を くどきはじめは 亥の日なり
炬燵は男女が接近する格好のアイテム
10月20日 恵比須講 商家で商売繁盛を祈念し恵比寿を祭った。親類・知人を招き、祝宴を開いた。
11月初子 大黒祭 11月最初の初子の日に大黒天をまつれば、来年の福を得られると言われた。赤飯を炊いて祝った。神田明神・芝増上寺・小石川伝通院・上野寛永寺
11月8日 鞴祭り
(ふいごまつり)
鞴を使う鍛冶屋・鋳物師、あるいは広く火をたく職人の間に普及。鞴を清めミカンを供え集まった子供に分け与えた。
12月13日 煤払い
(すすはらい)
大掃除。武家でも町屋でもこの後あんこ餅と鯨汁で慰労した。
 江戸中で五六匹くふ十三日
江戸中であわせて鯨5、6頭と、それほど多くの人が食したといっている

両国花火 歌川広重―名所江戸百景
「両国花火」
旧暦の5月28日に川開きを行い、隅田川両国橋付近で花火を打ち上げた。川開きの期間(〜8月26日)、江戸市民は隅田川に船を浮かべて納涼が許された。
有名な花火師、玉屋市兵衛と鍵屋弥兵衛は両国橋の上流と下流で交互に花火を打ち上げ技を競った。
この夜人々は、橋の上や両岸から家々の屋根や物干し場から見物し、また金持ちは屋形船・屋根舟・猪牙舟等でくりだし、様々な舟が川面を覆った。
花火の費用は船宿が8割、周辺の茶屋・料理屋が2割を負担した。
 
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両国 川開きの花火 起源については諸説あります。



神官が金の鷽を持って群衆の中にまぎれて、参詣者のものと交換したが、その金の鷽が当たった者には幸運が授かると信じられていた。

江戸に多きものとして「伊勢屋 稲荷に犬の糞」といわれるくらいなのでこの日は江戸中が賑わった。

 そちは二世 あれは
  三月四日まで
下女との仲を問いつめられた亭主が、お前とは二世を誓った間柄だが、あれ(下女)は三月五日になったらいなくなるからと女房をなだめている。
なお、気に入られれば「重年」(ちょうねん)といって居残りを許された。

江戸の花見 名所
・上野 東叡山
・王子 飛鳥山
・品川 御殿山
・隅田川 堤(墨堤)

五節句
正月7日(人日)
3月3日(上巳)
5月5日(端午)
7月7日(七夕)
9月9日(重陽)


火伏せ(ひぶせ)
神仏の力で火災を防ぐこと 


天下祭り
「神田明神祭」「山王権現祭」
幕府公認、江戸の鎮守神として武士、町人を問わず信仰された。
江戸三大祭り
上記に「深川富岡八幡宮の祭り」を加えていう。こちらはまったくの庶民の祭り。

 

 

 

 

 


 

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