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夏之部 ○秋之部 ○冬之部
江戸名所花暦;春

対象物 ナンバー 場所名 おおよその場所

(うぐいす)
1 根岸の里 台東区根岸2、3丁目辺り〔東叡山の北の麓なり。元禄(1688ー1704)の頃、御門主より京都の鶯のよきをえらみて、おほく放させ給ふとなり。関東のうぐいすは訛ありといへども、この処は上方の卵(たね)ゆゑにか、なまりなしといひ伝ふ。〕
2 東光山良雲院西福寺 台東区蔵前4丁目16番地〔三州(三河国)より随身の鶯にして、ほかよりは声異なりと言ひ伝ふ。〕
3 鶯谷 台東区谷中2、3丁目辺り〔谷中三崎(さんさき)法住寺の向ふ、支院七カ寺ある谷なり。〕現在寺は無い
4 鶯谷 文京区春日2丁目4番地と5番地の間の坂。金剛寺前の坂。〔小石川金剛寺坂の上の谷間なり。この鶯も音色他に勝れてよし。〕現在寺は無い。※鴬谷駅周辺に江戸時代も現在も鴬谷という地名は無い。私見ですが、ここでいう鴬谷は特定の場所を指す地名ではなく、一般的に鶯が鳴く谷間として使われているのではないでしょうか。

5 梅屋敷 江東区亀戸3丁目51番地 現在屋敷は無い〔本所亀戸天満宮より三丁程ひがしのかた、清香菴喜右衛門か庭中に臥竜梅と唱ふる名木あり。実に竜の臥たるが如く、枝はたれて地中にいりてまた地をはなれ、いづれを幹ともさだめがたし。にほひは蘭麝(らんじゃ)をあざむき、花は薄紅なり。園中梅樹多しといへども、殊に勝れたり。四月の頃にいたれば、実梅と号(なづけ)て人々又ながむ。〕蘭麝;蘭の花と麝香(じゃこう)の香り。
6 亀戸天満宮境内 江東区亀戸3丁目6番地〔亀戸村にあり。境内梅樹多きなかに、飛梅の稚木あり。筑紫よりここにうつす。菅公(菅原道真 845-903)左遷の時、うめを詠じたまふ歌、こちふかばにほひおこせようめのはなあるじなしとてはるなわすれそ これによって、梅とんで謫所(たくしょ 罪を受けて流された土地)の庭に生ずといふ。〕
7 御嶽の社(みたけのやしろ) 江東区亀戸3丁目6番地  6と同じ場所〔この境内にもうめあり。この神は菅神(菅原道真)の師、法性坊阿闍梨の霊神なり。卯の日に参詣あり。とりわけ正月の初卯の日は、はつ卯と号(なづ)けて人々群集す。〕
8 百花園(花屋敷) 墨田区東向島3丁目18番地 現 向島百花園〔寺島村のうちなり。白髭明神のわき、俗呼んで新梅屋敷といふ。白梅おほし。諸木・薬草のたぐひ数多あり。季候の所々にいだす。園中に年中花たゆることなし。〕
9 駒込鰻縄手 文京区向丘1丁目と2丁目の間の本郷通り
10 茅野天神境内 港区芝公園4丁目 増上寺内 現在神社は無い 
11 宇米茶屋(うめがちゃや) 港区白金2丁目1番地 〔麻布三子阪にあり。一重の白梅なり。正月下旬(寒暖によるべし)盛りなり。ほかよりは遅し。古木なり。〕
12 麻布竜土(りょうど)組屋敷 港区六本木7丁目9、10、11番地辺り〔梅樹、家ごとの入口にあるものあり。または後園にあるもあり。〕組屋敷;江戸時代、与力・同心などの組のものにある地域にまとめて与えられた屋敷。後園;家の後ろの庭園。
13 蒲田村 大田区蒲田2、3丁目辺り;圏外〔大森の右のかた、郊野(のみち)に数多し。文政(1818-30)のはじめのころ、梅木堂和中散(川崎のかたへよりたるをいふ)、この後園ならびに往還の両側へ梅樹五百本を植ゑ、見勢より北のかた枝折戸をしつらひ、蒲田といへる二大字の額をかけたり。野梅をのこらずここにあつめ、一眼に見渡すなり。そのほか、園中種々の花あり。なほ花の部分のところどころに出だす。〕
14 杉田村 神奈川県磯子区杉田4、5丁目;圏外〔東海道中程が谷宿より金沢道の方へ一里ほど行けば、民家のはた一面なり。実は種小さく、もっぱら江戸にてこれを賞玩す。花のころは東都の遊客旅立ちぬ。〕

椿
15 向島 墨田区向島4丁目9番地
〔秋葉権現の門前より東のかたへ十四、五間さきなる家に、二百種の異なる花をあつめ植ゑたり。〕
16 平井聖天(燈明寺) 江戸川区平井6丁目17番地〔渡しをわたりてむかふの河ぎし通り、いろいろの椿多し。〕渡し;平井の渡し 現 平井橋(旧中川)
17 妙亀山総泉寺  もと台東区橋場2丁目の西半分 寺は関東大震災で焼失し、その後現在の板橋区小豆沢3丁目に移転。〔この寺の奥庭に椿あり。他にことなる大樹あり。〕
18 椿山 文京区目白台1丁目1番地の水神社付近から関口2丁目11番地の椿山荘付近の大地を椿山といった。〔関口の通り、上小橋を渡り、右のかたへ上る阪のうへ一円をいふ。今はたえたり。〕
19 上野下寺 台東区上野公園〔東叡山中屏風坂の手まえ、寺院のうしろ下寺通りより見めぐれば、椿つらなりて巨勢野もかくやと思ふばかりなり。〕下寺通り;JR上野駅の公園口を出たところ東京文化会館、西洋美術館の横と駅の間の道。 屏風坂;日本学士院と輪王寺の間の道をJR上に架かる両大師橋の方へ行く坂。

20 桃園 中野区中野3丁目;圏外 犬公方と呼ばれた将軍綱吉が犬小屋を設けた跡〔四谷中野村。台命に依って植ゑる。むかしは多くありしが、今は過半枯れてなし。〕
21 御薬園 千代田区九段北1丁目14番地〔九段阪の上、東むき御掘ばた通り御かこひのうち。紅白の桃、数百樹あり。〕
22 大師河原 大田区東六郷、神奈川県川崎市川崎区旭町,港町,鈴木町,中瀬,大師河原;圏外〔大師より羽根田への通りすぢ、ところどころに桃あり。花の色は紅白ひとつならず。〕
23 吉川 埼玉県北葛飾郡吉川町;圏外〔日光道中越ケ谷のさき、田畑の畔、あるいは民家の構のうちに多し。〕
24 流山 千葉県流山市辺り;圏外〔下総松戸より二里ほどさき、野田の辺りなり。このところは生業とするゆゑに、桃林いと多し。〕

25 東叡山(寛永寺) 上野公園全体 本堂は現在の台東区上野桜木1丁目〔当山は東都第一の花の名所にして、彼岸桜より咲出て一重八重追々に咲つづき、弥生の末まて花のたゆることなし。〕「花の山鬼の門とは思われず」上野は江戸城の鬼門にあたり、寛永寺は鬼門よけ。
26 隅田川の堤 江戸名所図会によると「三囲稲荷の辺より木母寺の際までの堤の左右へ桃桜柳の三樹を植ゑられければ…」とある。〔隅田川させは江戸第一の花の名所にして、此花は享保(1716-36)の頃、依台命植ゑし処の物にして、今も枝を折ことを禁ずるは、諸人のしる所なり。堤曲行にして木母寺大門へ向ふ所、左右より桜の枝おひかさなりて、雲のうちにいるかと思ふばかりなり。桜にかぎらず、四時ともにいとよき地なれば、都より下りたまふやんごとなきおほんかたも、一たびは御遊覧ある也。〕台命;将軍(吉宗)の命令
27 梅柳山隅田院木母寺 墨田区堤通2丁目29番地〔隅田村にあり。大門を入りて右の方に小池あり。この辺(ほとり)に大樹の桜あり。境内一の佳木なり。〕
28 水神の社 墨田区堤通2丁目23番地 現 隅田川神社〔木母寺の門前より左の方へ三丁ほど行けば森あり。ちかごろ風流の遊客、桜を植ゑ添へて、堤と同じ時に花盛りなり。〕
29 新吉原 台東区千束3、4丁目〔毎年三月朔日より、大門のうち中の町通り、左右を除て中通りへ桜数千本を植ゑる。〕毎年、他所より満開直前の桜を根の付いたまま運んできて植え込み、終われば撤去していた。
30 金竜山浅草寺 台東区浅草2丁目3番地〔此境内、千本桜とて、元文(1736-1741)の頃、寄附ありて栽ゑるとなり。今はひとつ処にあらずといへども、奥山処々に桜あり。〕
31 神田大明神の社頭 千代田区外神田2丁目16番地〔本宮のうしろに、桜あまたあり。又東のかた、茶店よりのぞめば、浅草、本所、築地のほとりまで、眺望他にこえたり。〕
32 桜の馬場 文京区湯島1丁目5番地〔昌平坂聖堂西の方、横手の馬場なり。むかしは桜、楓の大木ありて名とするよし。今は柳のみなり。常に御旗本方、弓馬騎射の稽古あり。〕
33 天沢山竜光寺(りょうこうじ) 文京区本駒込1丁目5番地 現 龍光寺〔此境内に御所桜といふあり。寛永の頃、依台命都よりとりよせたまひ、この梵刹(てら)に玉ふ。〕寛永(1624-1645)将軍(此の年代からすると家光)の命令
34 諏訪山吉祥寺 文京区本駒込3丁目11番地〔大門より本堂まで壱丁程のあひだ、左右桜の並木なり。〕
35 白山神社 文京区白山5丁目31番地〔この社地に?ざくらといふあり。永承六年(1051)安倍一統を征伐として、義家公奥州へ発向の街道なり。その時この桜に?を立てたまひ、八幡宮を勧請せんとの祈誓により、この名あり。花に?のかたちあるといへり。〕
36 花渓山道栄寺 文京区小日向2丁目1番地〔小日向服部坂のうへにあり。〕服部坂は古川橋から道栄寺の方に上る坂道。二丁目十六番地辺りに服部権大夫の屋敷があったので服部坂といった。
37 長耀山感応寺(天王寺) 台東区谷中7丁目14番地 天保4年(1833)護国山天王寺と寺号を改める 「感応寺慾けのないは塔をほめ」寺に集まるのは富札を買った欲の深い連中で、富くじに関係のない人だけが塔(五重塔)を褒める。感応寺の富くじ興行が最初に公許され、のち湯島天神、目黒不動が加わり、江戸三富と呼ばれた。
38 慈雲山瑞林寺 台東区谷中4丁目2番地 現 瑞輪寺〔同所大門のうち、左右の桜箒立ちにして大木なり。盛りのころ、見物もつともおほし。〕箒立ち;枝が上向きにほうきのように広がっているさま。
39 根津権現境内 文京区根津1丁目28番地 現 根津神社〔根津にあり。この御ちち社は宝永三丙戌年(1706)御建立ありて、当所に移る。元御社は麻布長坂うへ、今世継稲荷の社のところをいふ。はじめて御祭礼の時は、江戸市中より出でたるよし。そのころ幼児の口ずさみに、宝永祭は見事なことよ、誰も見にゆけ行きなかゆく、ちとまたこの世のうさばらし云々。今も童幼の口碑に残れり。〕
40 飛鳥山 北区王子本町1丁目1番地 現在の飛鳥山公園〔王子権現より南の方、芝山なり。八重一重の桜数千株を植させられ、花盛の頃は、木の間に仮の茶屋をしつらえて群集す。遥に東北をながむれば、足立郡の広地、眼下に見えて、荒川のながれ白布を引くごとく、佳景いふばかりなし。〕茶屋女 としまも見える 飛鳥山 高台から一望すると遥か遠く豊島の郡が見渡せる。年増と豊島を掛けている。
41 王子権現の境内 北区王子本町1丁目1番地 現 王子神社〔飛鳥山の麓、石神井川を渡りて王子むらにあり。別当禅夷山東光院金輪寺。社頭に桜多し。〕金輪寺は王子権現の社前にあったが、現在は王子稲荷No.42の北100mの所にある。
42 岸稲荷の社(王子稲荷) 北区岸町1丁目12番地 現 王子稲荷神社〔是を王子稲荷と唱ふ。金輪寺持なり。当社は関八州の統領といへり。この社より五、六町を隔て装束榎といへるあり。是にて八カ国の狐、装束を改め、毎年十二月晦日の夜、狐火をてんず。この火に随ひて近民、田畑のよしあしをうらなふ。刻限おなじからざるゆゑに、遠方の人々は、一夜とどまらざれば、見ること難し。〕
43 右衛門桜(えもんざくら)
(円照寺)
新宿区北新宿3丁目23番地〔四谷の末、柏木村延乗寺薬師堂の前にあり。花形大りんにして、しべ長く、匂ひ茴香(ういきょう)に似て、甚だ(はなはだ)高し。〕
44 金王桜(こんのうざくら)
(金王神社)
渋谷区渋谷3丁目5番地 今も植え継いだ金王桜が本殿の脇にある。〔久寿(1154-56)年中、源義朝、鎌倉亀ケ谷の館に植ゑられし憂忘桜を金王丸にたまふ。領知渋谷にもて来り、鎮守八幡のみづがきのほとりに植ゑるとあり。〕
45 三縁山増上寺 港区芝公園4丁目(本堂) 芝切通(青竜寺と正則高校の間の道)
〔芝切通しより赤羽根への通ひ路、近きころ開し道筋、左右に桜樹夥(おびただ)しく植ゑたり。〕
46 御殿山 品川区北品川4丁目のJR寄り高台〔寛文の頃、吉野のさくらの苗を植させ玉ふ。今、古木となりて花、ことにうるはし。朽たる木の傍には、若木を植添へて、盛の頃は雲か雪かとうたがふ。向ふを望めば、安房、上総の山々、霞のうちにほのみえ、諸国の船は真帆あけて入津(にゅうしん)する光景(ありさま)、いはんかたなし。〕「花のそら波の音する御殿山」海に近いことが分かる
47 海賞山来福寺 品川区東大井3丁目13番地〔品川鮫洲大井村御林町なり。延命桜といふをもって、桜中の佳品とす。むかし梶原が植ゑしといひ伝ふ。〕延命桜はいまはない。
48 西光寺 品川区大井4丁目22番地〔世に大井の桜と唱ふるは、この境内本堂の前の古木なり。今は老木となりけり。〕
49 元八幡宮 江東区南砂7丁目14番地〔砂村新田の東の海手なり。当社花表(とりい)の額に、富賀岡八幡宮とあり。四、五町が間、野道の左右へ桜を栽ゑたり。南には海をひかえて、絶景の地なり。〕
50 小金井橋 小金井市桜町1丁目15番地角から同市と小平市の境界にかけて、玉川上水に架かる橋をいう;圏外〔玉川上水の堤。この桜は元文(1736-41)年間、台命によって、和州(奈良県)よし野山および常州(茨城県)桜川の種を植ゑさせられけるが、いまはいづれも大樹となりて、開花のとき金橋(こがねばし)のうへよりこれを望めば、岸を挟(さしはさ)む桜、繽紛として前後尽くるところをしらず、実に一奇観たり。〕

彼岸桜
51 花屋鋪(番町) 千代田区三番町12番地 現在 大妻女子短大部辺り〔番町厩谷(おうまやだに)杉田家のやしきをいひしなり。今、厩谷松平氏の屋しきをいふ。天明(1781-89)のころは、佐野善左衛門殿の第宅(やしき)なり。大樹にて桜やしきとも唱ふ。〕
52 成子乗円寺 新宿区西新宿7丁目12番地 現 常円寺〔四谷新宿のさき、堀内道にあり。これまた大樹なり。ちかきころ大門の左の方なる明地へ、さくらの苗木を植ゑ込みたり。〕堀内道;青梅街道から鍋屋横町を経て、杉並区堀ノ内3丁目48番地の妙法寺に達する道筋。
53 無量山寿経寺伝通院 文京区小石川3丁目14番地〔小石川安藤阪のうへなり。此境内にあり。また大黒天の社地にも多くあり。〕文京区春日1丁目と2丁目の間を伝通院へ上る坂道。春日2丁目22、26番地辺りに安藤飛騨守の上屋敷があったため。大黒天;伝通院の塔頭、福寿院のこと。小石川3丁目2番地
54 正念寺(しょうねんじ) 文京区本駒込1丁目3番地 現在寺は無い〔駒込土物店新道なり。この梵刹(てら)は桜多くあるゆゑ、里俗是をさくらの観音といふ。〕
55 宝珠山延命院 荒川区西日暮里3丁目10番地〔谷中日暮里妙隆寺へ行く道の角なり。〕妙隆寺は延命院より北北西200m辺りにあったが、今は無い
56 日暮の里(ひぐらしのさと) 荒川区西日暮里3、4丁目辺り〔谷中日暮の里は、『江戸鹿子』(1687)『江戸惣鹿子』(1689)『紫の一本(ひともと)』(1682)とうに、谷中新堀(にっぽり)と見えたり。かつ、『惣鹿子』の山の部に新堀山と載せたるは、今俗(いまのひと)の道灌山と唱ふる、これなり。中略 この地彼岸桜より咲きそめて、弥生のすゑまで花あり。この末、桜の部には別にいださず。〕
57 木下侯庭中 港区南麻布5丁目8番地 嘉永2年版切絵図では「木下肥後守」〔麻生広尾にあり。幹の太さふた抱半、南北へ二十一間壱尺余、とうざいへ十九間余、ただ小山に雪をおひたるがことし。花の頃は見物をゆるされしか、近頃止(とど)められたり。〕
58 慈眼山光林寺 港区南麻布4丁目11番地〔麻布新堀はた。当寺は市兵衛町(いちびょうえ)の辺りにありしとなり。此境内に大樹あり。成子乗円寺の花によく似たり。この光林寺の前、新堀のむかふをすべて広尾の原と唱へ、桜の咲いづる頃よりして、貴となく賤となく、おもひおもひのわりこ、酒肴をもたらし来り、毛氈、花むしろをしき、ここにまどゐし、かしこにたむろして打興ずるありさま、天和(1681ー1684)の頃の光景(ありさま)を思ひいづるばかりなり。〕
59 牛天神 文京区春日1丁目6番地 現 北野神社〔小石川。別当竜門寺(りょうもんじ)。この山中、花多し。門前をながるるは、神田へかかる上水なり。〕竜門寺は同所にあったが、今は無い。

60 なまむぎ村 神奈川県横浜市鶴見区生麦1〜5丁目辺り;圏外〔東海道川崎駅のさき。大森のほとりより大師河原へ行く道、六郷、川崎の辺一面なり。〕
61 しもつふさ八幡 千葉県市川市八幡1〜3丁目辺り;圏外〔市川のむかふ中山のほとり。農家活業(なりわい)となすゆゑ、おのおの棚に作りて養ふ。〕
62 南新川 千葉県流山市三輪野山;圏外

山吹
63 下平井村 江戸川区平井1〜3丁目辺り〔聖天の境内、ここかしこにあり。咲き出でてより盛り久し。〕聖天は椿No.16参照
64 宝松山金性寺 墨田区業平2丁目13番地 現在寺は無い〔本所押上。開山、法印朝尊和尚。歓喜天をまつれり。霊験いちじるく、人みな信心す。〕
65 三囲(みめぐり)稲荷の境地の回り 墨田区向島2丁目5番地〔境内の外はすべて田なり。枝はみな田の中へ望みて花さけり。いと見事なり。今はこれも門の左右、石の玉垣となりて、山吹減じたり。〕玉垣;神社の周囲にめぐらした垣根

すみれ
66 ゆるぎ(居木)橋の辺 品川区北品川4丁目〜大崎1丁目〔品川東海寺うしろ、目黒への道すぢ居木橋、俗よんで震(ゆるぎ)はしといふは非なり。〕
67 荒木田の原 荒川区荒川8丁目から町屋一帯の隅田川沿いの辺り〔千住と尾久のあひだの原、おびただしきすみれ也。前は川にのぞみて絶景の地なり。春は遊客、酒肴をもたらしきたって興ずること、日の西山に傾をしらず。〕

桜草
68 巣鴨 豊島区巣鴨・駒込のあたり〔庚申塚左右。この辺植木屋、または農家にても作れるなり。こは生業となすゆゑなり。〕
69 尾久の原 荒川区東尾久〜西尾久〔王子村と千住とのあひだ、今は尾久の原になし。尾久より一里ほど王子のかたへ行きて、野新田の渡しといへるところに、俗よんで野新田の原といふにあり。花のころはこの原、一面の朱に染むごとくにして、朝日の水に映ずるがごとし。またこの川に来る白魚をとるに、船にて網を引き、あるいは岸通りにてすくひ網をもって、人々きそひてこれをすなどる。桜草の赤きに白魚を添へて、紅白の土産(いえづと)なりと、遊客いと興じて携へかへるなり。〕
夏之部 ○秋之部 ○冬之部
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根岸の里 西福寺 鶯谷 鶯谷 5 亀戸天満宮境内 8 9 10 11 12 15 16 17 18 19 21 25 26 26 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 51 52 53 54 55 56 57 58 59 63 64 65 66 67 68 69