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春之部 ○夏之部 ○冬之部 
江戸名所花暦_秋

対象物 ナンバー 場所名 おおよその場所
あさがお 1 下谷御徒町辺 台東区台東・東上野・上野(JR御徒町駅の東側、首都高速1号上野線両側の辺り)〔朝顔は往古より珍賞するといへども、異花奇葉の出来たりしは、文化丙寅(1806)の災後に下谷辺空地の多くありけるに、植木屋朝顔を作りて種々異様の花を咲かせたり。おひおひひろまり、文政(1818-30)はじめのころは、下谷、浅草、深川辺所々にてももつぱらつくり、朝顔屋敷など号(なづ)けて見物群集せしなり。〕
七草 2 百花園(花屋敷)(向島) 墨田区東向島3丁目18番地〔向じま花やしき。秋草の中にも七草と唱へて愛翫するを、この園中にはみなそろへて植ゑこみたり。〕

3 慈雲山竜眼寺(りょうがんじ) 江東区亀戸3丁目34番地〔本所亀戸川の通り、天満宮の裏門の先にあり。当寺に殖髪聖徳太子(574ー622)の像をあんちなす。推古天皇(554-628)の勅願によつて大和国大安寺の本尊なりしを、ゆゑあつて当寺にをさむ。明和三年(1766)よりして太子堂建立のためとて、庭に萩を多く植ゑたり。もとより池水清らかにして、萩の花ざかりには、錦をつらねたり。いまはことさら数千叢になりて、貴賤群をなして歩行をはこぶ。俗よんで萩寺といふ。名物、萩のはし・萩の楊枝あり。〕
4 浅草人丸明神境内 台東区浅草2丁目31番地 現在神社は無い〔当社の前に、から堀のいけありて、よきところどころに萩を植ゑたり。このところは春秋ともに詠めあり。池の傍らに庵ありて、日を卜(さだ)めて乞ふときは坐敷をかす。ゆゑに風流の人々、ここにて和歌・連歌等の会を催ほす。〕

5 三派(みつまた) 中央区日本橋箱崎町〔三派の月見んとて延宝(1673-1681)、天和(1681-1683)の頃、人々船にておほく出たるよし。〕
6 浅草川 隅田川の下流、金竜山(浅草寺)の麓(ふもと)隅田川の浅草あたりから下流〔清明の夜は、月の輝(ひかり)滔々たる水に浸りて、あたかも金竜のうかふに似たり。人々船を泛へ、流にさかのほり、詩を賦し歌を詠み、あるひは妓を携、弦歌を催し、おもひおもひに遊興をつくせり。〕滔々(とうとう);盛んに流れるさま。
7 武蔵野 江府の西北五、六里ばかり、秩父山の方なり。東京都・埼玉県に神奈川県の一部を含む地域(『江戸名所花暦』では、埼玉県入間郡のあたりを指すと思われる);圏外〔文人墨客、旅心に出で立て、一夜の草まくらに月を詠(ながむ)。むさし野ははてしもなく広きことゆゑに、ここと定めたるところもなければ、知己をたづねてともに詩を作り、あるいは旅店をもとめて歌をよみなどして、風流つくることなし。〕
8 玉川 江府の西の方六、七里にして、中河原、是正の辺をよしとす。東京都と神奈川県の間を流れる川(『江戸名所花暦』では、府中市住吉町、分梅町から是政にわたる地域を指す);圏外〔月の水にうつれるは一入(ひとしお)なりとて、遊客この河原に集り、思い思いの興を添えて月を詠む。名物は此河の鮎なり。相模川なとより佳品なり。〕
9 品川 港区高輪2〜4丁目辺りの高台 特に三田3丁目と4丁目の間の坂道。聖坂から南へ三田4丁目17番地辺り、道が二股に分かれる辺りに幕末の地図では「月之見崎」と表示されている。〔この地は高輪の辺よりしてすべて海上の見晴らしなれば、月の出はいつにてもよし。また七月二十六夜には、雅俗打ち交りて、月の出の遅きゆゑにさまざまに興じて、月の登れるを待つなり。その賑はへることひとかたならず。この夜は処々に月待あり。湯島天神の台、九段坂のうへ、日暮里諏訪明神の境内、その他なほありといへども、品駅(しながわ)をもつて当夜の第一とす。〕
10 道灌山 荒川区西日暮里4丁目1〜4番地辺りから北区田端1丁目28番地田端台公園の辺り〔日暮(ひくらし)より王子への道筋、飛鳥山の続きなり。むかし太田道灌出城の跡なりといふ。くさくさの虫ありて、人まつ虫のなきいつれはふりいててなく鈴虫に、馬追ひ虫、轡虫(くつわむし)のかしましきあり。おのおのその音いろを聞かんとて、袂すすしき秋風の夕暮より人人是にあつまれり。また麻布広尾の原、牛嶋もよし。〕広尾の原;幕末の地図では渋谷区恵比寿二丁目辺り。牛嶋;墨田区向島5丁目1番地 弘福寺裏手辺り。

11 巣鴨 豊島区巣鴨・駒込の辺り 〔植木屋所々にあり。文化(1804-18)のはじめのころ、菊にて作り物を工夫せしなり。植木やならでも作りたるなり。なかにも木綿屋何某といへる豪家は、常に後園に菊を作りて見物をゆるせしなり。しかるに作り物二、三ケ年が間、盛んにして、九十軒余に及べり。その工(たく)みの細やかなること、実に奇といふべし。あらましをいふに、獅子の子落とし、布袋の唐子遊び、汐汲の人形、九尾の狐、文覚上人(鎌倉時代前期の真言宗僧侶)の荒行、富士見西行など、いろいろの花と葉をもつて工みあげたり。かかることも後には口碑に残るのみなれば、ここに十が二、三をしるす。〕
12 雑司ヶ谷 豊島区雑司が谷3丁目15番地 豊島区雑司が谷の辺り〔鬼子母神の境内、貨食屋(りょうりや)の奥庭、あるいは茶店、植木屋はいふもさらなり。みなよく菊を養ひ造りて、十月八日より会式なれば、その参詣の群集をまつなり。六老僧の寺院にも、おなじ時、境内または庭中へ菊を植ゑ、日覆・障子をかけ渡して、手際のほどをみするもあり。また上人御難のところなどを作り物とす。よりて詣でし人々は、堂前に充満して、帰路をわする。〕

紅葉
13 真間(まま) 千葉県市川市真間4丁目9番地;圏外〔真間山弘法寺(ぐほうじ)、下総国葛飾郡、江戸より三里余。本堂の前に楓あり。高さ四、五丈余、たぐひなき名木なりといへり。〕丈;約3メートル 堅い奴 うどんで紅葉 見て帰り 弘法寺へ行くには日本橋小網町の行徳河岸(現在の首都高速箱崎出入口辺り)から船に乗り、隅田川を横切り、小名木川から中川船番所を経て新川に入り、江戸川を遡って行徳河岸へ着いた。行徳には有名な「笹屋うどん」という店があった。句は飲酒や女遊びもせず、紅葉を見てうどんだけを食べて帰る奴は無風流だと言っている。
14 秋葉大権現(現 秋葉神社) 墨田区向島4丁目9番地〔向じまにあり。境内広くして池あり。池の廻りに茶店・貨食屋(りょうりや)等あり。楓は所々にあり。中にも裏門の方へよりて数十本あり。染め出だすころは、人々きそひて見物す。〕
15 滝野川 北区滝野川を流れる石神井川の周囲を滝野川といった。〔流れ清らかにして、川は曲行なり。一歩ごとにながめの替はる地なり。川ばた岩窟のうちに弁財天を安置す。風景小(すこし)く金亀山に似たるところあり。楓の色さかりのころは、この川水にうつりて、竜田川もかくやとばかりあやしまる。〕
16 補陀洛山海晏寺(かいあんじ) 品川区南品川5丁目16番地〔品川鮫洲にあり。当山は江府第一の楓の名所なり。〕「海あん寺真赤なうそのつき所」紅葉見物の通り道に品川の遊里があり、つい横道にそれて帰宅後に紅葉より赤いうそをつくはめになる。
17 万松山東海寺 品川区北品川3丁目11番地〔当山境内広くして、大樹の楓樹(もみじ)数多(あまた)あり。開山沢庵和尚の道徳はいふもさらなり。諸道に通達して、凡人ならざることは、世もって知る処なり。(中略)今、糠漬の大根を沢庵漬といへるも、この和尚の工夫にて漬はしめられしとなり。〕
18 県居翁(あがたいおきな)の墳墓 ほぼ同上の場所 賀茂真淵の墓〔塔頭少林院のうしろの山にあり。(中略)宝暦十年(1760)致仕して明和六年(1769)十月晦日、齢七十三にして身まかりぬ。玄珠院真淵義竜居士と法号す。近代名誉の歌よみにて、此大人(うし)の徳をしたふ人多し。毎年九月晦日には、江戸に名だたる歌人、少林院に集会して、歌よみて手向とするなり。〕
19 泰叡山滝泉寺(りょうせんじ)
(滝泉寺・目黒不動尊)

目黒区下目黒3丁目20番地〔泰叡山滝泉寺。当山境内楓樹多し。毎月二十八日は不動尊の縁日なれど、とりわけ正・五・九月は前夜より参詣多し。〕
20 東陽山正燈寺 台東区竜泉1丁目23番地〔竜泉寺町。当寺もみぢの名所にして、高雄の苗をうゆる。近きころは、みだりに見物をゆるさず。しかりといへども遊客庭中に入るといへども、あへてまた咎むることもなし。ただ掃除のとどかざるをはづると見えたり。明和(1764-72)・安永(1772-81)のころは、楓(もみじ)とだにいへば、人々正灯寺と心得たるほどに盛んなりしとぞ。〕「正燈寺 なに枯れっぱと 直ぐ通り」正燈寺は吉原の遊郭に近く、紅葉狩りを口実にする人も少なくなかった。句は枯れ葉にすぎないと紅葉もろくに見物しないで、吉原へ急ぐ連中をよんだもの。
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