ビバ!江戸
町与力・町同心は武家仲間からは「不浄役人」と呼ばれた。

町与力・町同心は犯罪者と接するため不浄役人と蔑まれたが、同じ禄高(サラリー)の武士と比べればはるかに実入りは良かった。それはいろいろと多方面からの付届け(副収入)が多かったからである。


江戸の町与力・町同心


  禄高 拝領屋敷 人員
与力 二百石 200〜300坪

25×2(南北) 幕末23騎

同心 30俵二人扶持 100坪 100名〜140名×2(南北)

与力
年番与力  奉行所の老中。財政から人事まで取り仕切った。
吟味方  与力中の最重要職
市中取締諸色掛り  町中の諸色(物価)の調査
例繰方(れいくりかた)  判例の調査(検索)、整理(先例を重視したため)
※上記役はごく一部。時代とともにその役職数は増えていった。各与力の下には数名の同心が付く。

同心(基本的には与力の補佐ですが、同心のみの勤役もあります)
[三廻り]と言われ、同心の中のエリートで花形。与力の下には付かない
隠密廻り 奉行・与力の特命を受け極秘に捜査。
定町廻り 定められた地域を定められた道順でパトロール。
臨時廻り 定町廻りの手の足りないときなど定町廻りを永年勤めたものがあたった。

与力・同心組屋敷 位置
与力・同心組屋敷の位置の図

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与力・同心という職称は町奉行にのみにあるものではなく、幕府役職の中で他の役所にも多くいたので、それらと区別するため町与力・町同心と呼んだ。

各自に知行地が与えられたわけではなく上総(千葉県中央)・下総(千葉県北部)の一万石の地をまとめ給地とされた。  
与力は騎乗を許された身分であるため一人、二人でなく一騎、二騎と数える。通常、知行200石取り騎乗身分はお目見え以上の旗本であるが町与力はお目見え以下の御家人であった。 
与力・同心とも抱席(かかえせき)といって一代限りであるが、実際は世襲。したがって、若い時から長年その道一筋で役目を務めるエキスパート。

冒頭にも述べたように、与力・同心は富裕商人・大名からの付け届けで収入よりかなり余裕のある暮らしをしたと言われる。
なぜ大名からかというと、江戸藩邸の家臣(いわゆる勤番侍)は大名屋敷内は治外法権だが屋敷外では町人と同じ扱いであったため、町でトラブルが遇ったときのためである。

 

一町(丁)=60間=109m
八丁= 872.6m

 

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