ビバ!江戸
江戸時代中頃まで、食事の回数は…一日2回であった!
元禄・享保頃までは、一般的には一日2回の食事であった。のち、経済の発展とともに生活レベルも向上し、菜種作の発展は灯油の普及を促し、夜の食事も可能にし一日3食へと移行していった。江戸では、朝だけご飯を炊き、昼・夜ともそれを食べた。

江戸の食文化


年代−食

○庶民の食生活の味方だった屋台(食べ物商売の三形態)
振り売り 屋台 小屋掛け
現在でも、最もポピュラーな食べ物である「蕎麦」「寿司」「てんぷら」「うなぎの蒲焼き」は江戸時代の屋台から始まっている。
なお、江戸での固定の料理店の最初は、明暦の大火から元禄期のいずれかの頃、浅草金龍山門前の「奈良茶飯屋」とされる。(茶飯に豆腐汁・煮染・煮豆等が付いた)

 
  町触れ
貞享三年(1686) うどん・そばなど何によらず、火を使う移動販売は禁止。
元禄十二年(1699) 上記の内容に付け加え、風が強いときには、"店"での煮売りはやめるように。この店(見世)とは小屋掛け程度の簡易式のもの。


○江戸の食材
伊勢エビ・芝エビ・イワシ・タイ・ヒラメ
アマダイ・メバル・ウナギ・コチ・スズキ・トビウオ
サバ・カニ・ボラ・アジ・マス・サケ・
アワビ・サヨリ・キス・サワラ・ブリ・タラ


ショウガ・ミツバセリ・アブラナ・ツクシ
スイカ・ゴボウ・シソ・シロウリ・マクワウリ
サツマイモ・ウド・トウガン・ナス
カブラ・クワイ
 


○江戸の庶民はどんな〔おかず〕を食べていたか(江戸後期)おかずの見立番付より
魚類方(西)   精進方(東)
めざしいわし 大関 八杯豆腐(水6酒1醤油1で煮る)
むきみ切ぼし 関脇 こぶあぶらげ(煮物)
芝えびからいり(醤油で味付け) 小結 きんぴらごぼう
鮪から汁(鮪だけの味噌汁) 前頭一 にまめ
こはだだいこん 前頭二 焼豆腐吸したじ(すまし汁)
たたみいわし 前頭三 ひじき白あえ
いわししおやき 前頭四 切り干し煮付け
まぐろすきみ 前頭五 芋がら油げ(煮付け)
しおかつお(鰹の塩漬け) 前頭六 油げつけ焼(醤油付け焼き)
にしんしおびき(鰊の塩漬け) 前頭七 小松菜ひたしもの
行司(上段) 沢庵漬 ぬかみそ漬 大坂漬 なすび漬 
行司(下段) 梅ぼし 寺納豆 らっきょう漬 からし漬 ほそね漬 奈良漬 かくや漬
世話役 でんふ ひしほ ざせん豆 みそづけ 日光唐辛子
勧進元 差添 味噌 塩 醤油

びくにはし雪中 歌川広重―名所江戸百景
「びくにはし雪中」
びくに(比丘尼)とは、本来出家した尼僧だが、江戸時代尼僧の姿をした娼婦のこともいい、この橋の近くにびくに宿があったため橋の名が付いたという。
画面右側が江戸城外堀の石垣で、外堀から画面左へ京橋川さらに八丁堀と名をかえて大川(隅田川)へと注ぐ、その最初に架けられた橋であった。
画面左〈山くじら〉とは、猪の肉のことで、この店は「尾張屋」といい、猪の肉とねぎとを鍋で煮て客に出したという。
江戸時代、肉食忌避の観念が一般的であったとされるが、実際には、儀式など改まった場合を除けば獣肉食は一部で行われており、天保期から幕末へとさらにこのような店は増えていったという。なお、獣肉食は滋養にもなるため方便で〈薬食い〉ともいった。
通り向い側の〈○やき〉は、さつま芋の丸焼きを売る店で、〈十三里〉は栗(九里)より(四里)うまい、足して13里の洒落。
橋に向かう人物は、「振売り」の〔上燗おでん売り〕;燗酒と田楽・おでんを売った。



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振り売り
商品を天秤棒等にぶら下げて、あるいは担いで売歩いた。棒手振(ぼてふり)ともいう。

てんぷら
江戸前の魚に、小麦粉を水で溶いたころもをつけて(卵は使わない)揚げ、それを串に刺して大根おろしと天つゆで食べた。
寿司(にぎり)
ネタには、鶏卵焼・車エビ・海老そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮・のり巻等 値段は八文

江戸文化爛熟期を象徴する
大酒・大食大会
文化十二年(1815)千住宿 参加者約100名。大酒の会 新吉原の伊勢屋言慶、三升五合余。千住の松勘、九升二合。女性、一升五合。
文化十四年(1817)両国柳橋 大酒大食い会
酒の組 芝口 鯉屋利兵衛(30)十九升五合
菓子組 神田 丸屋勘右衛門(56)饅頭50、羊羹7棹、薄皮餅30、茶19杯
飯の組 浅草 和泉屋吉蔵(73)万年味噌の茶漬けと香の物だけで飯を54杯、唐辛子58?
鰻組 本郷 吉野家幾左衛門(75)鰻の茶漬けを代金にして一両二分
蕎麦組 新吉原 桐屋惣左衛門(42) 二八の上蕎麦57杯

見立番付とは江戸の人たちが相撲番付の形式を借りて、様々なものをランキングした一覧表。
左 見立番付は季節を問わない料理。
季節のものでは
春の部:
けんちん、わかめのぬた、きのめでんがく、たたきごぼう、なまりのさんばいす、くくたちひたし
夏の部:
冬瓜くずに、いんげん煮びたし、なすあげだし、ふきのにつけ、竹の子あらめ、なすしぎやき、へちまにびたし
秋の部:
いもにころばし、ふろふき大根、とろとろしる、やきせうが、いりとうふ、あんかけとうふ、八ツ頭いもにつけ、山のいもぐつぐつに
冬の部:
こんにやくおでん、なつとうじる、カブ菜汁、ねぎなんばん、こんにやくさしみ、ごまみそ、炒りとうふ

余談
高級料亭「八百善」にまつわる逸話二題
『文政末年頃、政務の要職である奥御祐筆を務めた人物が、夜食の料として八百善の料理切手一枚を送られたという。彼は所用のためみずからは使わず、用人に渡したところ、10人ほどで飽食してたっぷりの土産を包んでもらった上に、残り金として15両を添えられたという。おそらく50両ほどの料理切手ではなかったかと驚いたという。』また、『ある客が、酒を飲み飽きて、二、三人で八百善へ行き、極上の茶漬けと香の物を所望したところ、半日ほども待たされて、支払った代金が1両2分(1.5両)。あまりの高額に興ざめた客へ亭主いわく、極上の茶に合う水を求め玉川まで早飛脚にて取り寄せた運賃代によるものだと。』
高級料亭の出現は明和年間、深川州崎(江東区木場・東陽)の「升屋」といわれている。
1両10万とした場合、
50両=500万円
1両2分=15万円

江戸っ子の初物食い
旬の食材をその年最初に食べることを「初物」といい、ことわざの「初物七十五日」は初物を食べると七十五日生き延びるという意味から、江戸の人々の初物に対する関心がうかがえる。
そういった風潮は、江戸の初期からみうけられたが、短気で気っぷの良い江戸っ子気質もあいまって、それが頂点に達したのが天明年間の初鰹であった。一匹銭四貫文(一両)でも五貫文でも迷わず買って食う、高価でなければ初鰹でないとまでいわれた。
初物として好まれたものは、安永五年(1776)刊「福寿草」によると、順に、初鰹・初鮭・初酒・初蕎麦・若鮎・若餅・早松茸・早初茸・新茶・初茄子。


居酒屋のはじまり
元文年間(1736-40)に神田鎌倉河岸(千代田区内神田2−1)の酒屋「豊島屋」が、田楽豆腐をつまみに店頭で立ち飲みをさせたのが評判となり、江戸の町に居酒屋が広まっていった。豊島屋は3月3日のひな祭りの白酒の売り出しも有名で一日千樽以上が売れたという。その繁盛ぶりは「江戸名所図絵」にも描かれている。

 

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