寛永元年(1624)初代横綱の明石志賀之助が晴天六日 四谷塩町笹寺で行ったのが江戸勧進相撲の始まりといわれる。 |
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主に深川富岡八幡境内 芝神明社 浅草大護院 市ヶ谷八幡宮 回向院 等で臨時の小屋掛け興行 |
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一時、相撲興行では喧嘩や口論が絶えないため幕府より禁止された。 |
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貞享元年(1684)深川八幡境内で晴天八日の興行が許可される。 |
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宝永四年(1707)寺社修復の名目が失われ、興行はプロ化した。 |
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天明元年(1781)晴天十日と定められる。相撲人気が高まる。(江戸詰の大名らが力士を庇護するようになり江戸相撲は成長する) |
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寛政元年(1789)谷風梶之助、小野川喜三郎に横綱免許が与えられる。 |
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寛政三年(1791)定期興行が深川富岡八幡境内より回向院に移る。 |
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文化二年(1805)春場所中に江戸芝神明社境内で町火消しとの間に「め組の喧嘩」起きる。負傷者99人 |
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天保四年(1833)春秋二場所制度になり、回向院境内が定場所となる。 |