ビバ!江戸
江戸時代 相撲を………女性は観戦できなかった!!

今日、表彰式の授与の際、女性が土俵にあがる、あがらないでもめていますが、江戸時代、本場所の観戦すら女性は出来なかった。明治五年(1872)になり初めて女性の大相撲見物が認められた。


江戸の相撲


相撲は古くは豊凶を占う神事として行われていた。
江戸では神社仏閣の建立や修復を名目に有料の勧進相撲の興行が生まれた。

寛永元年(1624)初代横綱の明石志賀之助が晴天六日 四谷塩町笹寺で行ったのが江戸勧進相撲の始まりといわれる。
 主に深川富岡八幡境内 芝神明社 浅草大護院 市ヶ谷八幡宮 回向院 等で臨時の小屋掛け興行
一時、相撲興行では喧嘩や口論が絶えないため幕府より禁止された。
貞享元年(1684)深川八幡境内で晴天八日の興行が許可される。
宝永四年(1707)寺社修復の名目が失われ、興行はプロ化した。
天明元年(1781)晴天十日と定められる。相撲人気が高まる。(江戸詰の大名らが力士を庇護するようになり江戸相撲は成長する)
寛政元年(1789)谷風梶之助、小野川喜三郎に横綱免許が与えられる。
寛政三年(1791)定期興行が深川富岡八幡境内より回向院に移る。
文化二年(1805)春場所中に江戸芝神明社境内で町火消しとの間に「め組の喧嘩」起きる。負傷者99人
天保四年(1833)春秋二場所制度になり、回向院境内が定場所となる。

四谷 笹寺 四谷勧進角力始祖の碑
笹寺(四谷山長善寺)地下鉄丸ノ内線 四谷三丁目  「四谷勧進角力始祖」の碑

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相撲節会(すもうせちえ)
奈良・平安時代 宮中の重要な儀式の一つとして行われていた。
武家時代、源頼朝・信長・秀吉のとき上覧相撲を行う。
相撲は歌舞伎・吉原と並ぶ江戸の三大娯楽の一つであった。

初代横綱 明石志賀之助説は確かな史実は無いと言われている。

雷電為右衛門(らいでんためえもん)
寛政8年(1796)大関に昇進。16年間大関を務める。
身長:6尺5寸(197cm)
体重:45貫(170kg)
勝率:9割6分2厘
史上最強の力士といわれる彼が横綱になれなかったのが謎とされている。

江戸時代、横綱は今日のような「地位」ではなく大関に与える特別の名誉ある「称号」であった。横綱の地位が作られたのは明治42年。

晴天10日;屋外のため雨天は中止。年2場所より 相撲取りは「一年を二十日でくらすよい男」といわれた。ちなみに、えどのもてる男の三大職業は、火消し、与力、そして力士とされていた。

土左衛門(どざえもん)
享保時代の幕内力士 成瀬川土左衛門。
肥満型、色が白く青白くむくんでいたことから、江戸の人たちはいつしか水死人のことをこう呼んだ。女性の場合は「おどさ」。


八百長(やおちょう)
なれあいの試合のこと。
明治の初め、八百屋の根本長造がときの相撲会所の権力者に取り入ろうと共通の趣味の囲碁でわざと負けて(実際は相当の腕前であった)一勝一敗になるように仕組んだことから。


 

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