ビバ!江戸
参勤交代の大名行列の三分の一は……派遣社員だった!?

大名行列の三分の一は専門の斡旋業者(六組飛脚問屋)に委託した人材(通日雇)によってまかなわれていた。つまりアウトソーシング。安政六年(1859)11万石 桑名藩松平家の場合、通日雇165名で764両の経費。一両10万円と仮定した場合七千六百四十万円。


江戸の参勤交代


 参勤交代は幕藩体制における根幹の制度
当初は幕府に対する臣従の証拠として自主的に肉親を人質として江戸城に提出し、家族対面と将軍に挨拶をするために江戸に赴いたのが始まりといわれる。

寛永12年(1635)外様大名への義務づけ(武家諸法度により制度化)
寛永19年(1642)譜代大名への義務つけ


参勤交代のもたらした結果
宿場の整備、輸送・交通手段の整備、街道の発達
 
産業振興、消費経済の発展
 
情報の流通、文化の交流
 
大名の経済力の弱体化*

参勤前の手続き
参勤伺い
国許より使者を立て書状を江戸留守居役が同行して提出
→ 
老中
奉書にて参勤時期の指示


国許
江戸へお礼の使者

参勤後の手続き
老中まで江戸到着を報告
 
老中の使者が江戸藩邸を訪問
 
後日老中より登城を命ずる奉書が来る
 
登城し将軍に拝謁する
同時に献上物を差し出す

大名行列
行列の規模は大名の禄高や家格に応じて決められた。
最大藩の加賀前田家は2000人〜4000人といわれている。
体面を重んじる武家としてその内容は派手になったと見え、慶安元年(1648)以降幕府はたびたび華美を控え人数を削減するよう発令している。
行列が隊列を整えるのは国許を出るとき、江戸にはいるとき、宿場の前後など要所だけであった。行程が一日延びるだけでもその費用はバカにならず、かなり強行軍だったらしい。とても全行程をあのような行列模様では目的地に着けない。

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通日雇(とおしひよう)
参勤交代の荷物の運送を国許から江戸まで通して請け負う人足。
参勤→出府すること
交代→領内に帰国すること
横並び
江戸の(現代においてもあまり差はないが)大名においては他藩と同じ行動を取る習性があり、二三の有力な大名の行為に次々に追随した。
関東の譜代は6ヶ月交代
水戸徳川家は江戸定府
対馬藩(長崎県)は3年ー1年在府
蝦夷松前藩(北海道)は5年ー1年在府
これは幕府が意図したものかどうかはさだかではないが、結果としてはそうなったもので、幕府では再三参勤交代の簡素化を指示していた。

参勤時期
外様大名:四月
譜代大名:六月または八月
何事にも幕府の指示を受けなければならなかった。
将軍からは倍額の拝領品が下賜されたが、老中・幕閣への進物には返礼はなかった。

一日に33km!!
鳥取藩池田家の場合
鳥取→江戸(参府)
行程:約720km
日程:21泊22日
1日平均:約32.8km
安政6年(1859)

 

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