江戸 小伝馬町の牢屋敷は……拘置所であり、刑務所ではなかった。 |
そもそも江戸時代、刑務所というものは、存在しなかった。というのは基本的には懲役刑がなかったから。未決囚や有罪判決を受けた者を刑の執行まで拘禁する施設であった。
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●牢屋奉行[正式名:囚獄(しゅうごく)]
石出帯刀(いしでたてわき)世襲で代々この名を名乗る
禄高:三百俵十人扶持 配下に牢屋同心 50名 牢屋下男 38名
牢屋敷の図(総坪数:約二千七百坪)
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大牢 |
一般の町人 |
2 |
二間牢 |
無宿人 |
3 |
東揚屋 |
流罪(るざい)の船待ち罪人(遠島) |
4 |
西揚屋 |
女牢 |
5 |
奥揚屋 |
御目見得以下の武士、これに準ずる僧侶、医者、神官等 |
6 |
揚座敷 |
御目見得以上の武士、これに準ずる僧侶、医者、神官等 |
7 |
百姓牢 |
安永四年(1775)増設。他の牢慣れした囚人からいじめられたり、悪影響を受けないため分けられた。 |
8 |
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武士の切腹はこの辺りで行われた。 |
9 |
様場(ためしば) |
様斬り(試し斬り)を行う場所。 |
10 |
拷問蔵 |
幕府指定の拷問は次の四つ。軽いものから・笞打ち(むちうち)・石抱き・海老責め・釣責め これらを行うには老中の許可が必要。 |
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牢屋敷跡 地下鉄日比谷線 小伝馬町 中央区日本橋小伝馬町 刑場のあたりが現在大安楽寺となっている。 |
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基本的に懲役刑はないが、永牢(終身刑)や過怠牢という刑があったという説もある。 |
収獄される罪人は町奉行所管のみならず、寺社奉行・勘定奉行所管の罪人も収容した。 |
無宿人
住所不定者ではなく、人別帳(戸籍)から除外された者。 |
試し斬りは刑罰に付属するもので、その役は代々山田浅右衛門が務めた。本職は将軍家の刀剣の試し斬り。身分は浪人。首斬り浅右衛門と言われたが、彼のもとには試し斬りの依頼が多く鑑定料だけで大名に等しい収入があったと言われる。 |
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