離縁状である三くだり半を……三本半の縦線を引いて許された地方がある。 |
離縁状の本文はほとんどが三行半になっているところから、三行半(みくだりはん)と言われますが、相模国(神奈川県)鎌倉郡では文字の書けないものは三本半の縦線を引いて印を押せばよかった。(基本的には離縁状は自筆)
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江戸の離婚は夫が妻(妻からは渡せない)に離縁状を渡すだけで離婚が成立した。
届け出は不要であった。ただし、離縁状無く再婚した場合は、罰せられた。(双方とも)
離縁状(三行半)の一例
一札之事
一其許義、此度手前存寄有之候て
離縁致遣候間、向後再縁は勿論如何様之
儀有之候共、此方差構無之候、為後日
離別状仍て件如
年月日 本人名 印
妻の名 どの |
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いっさつのこと
ひとつ そこもとぎ、このたび てまえ ぞんじより これありそうろうて
りえんいたし つかわしそうろうあいだ、こうご さいえんはもちろん いかようの
ぎこれありそうろうとも、このほうさしかまえこれなくそうろう、ごじつのため
りべつじょう よってくだんのごとし |
離縁状(去り状)の内容は、離婚すること、離婚した上は今後どこへ嫁ごうとも構わない、という2点より成り立っていた。したがって、後半部分は再婚許可証でもあった。なお、細かな離婚理由は書かなかった。
妻側から離婚できる場合
・夫が妻の承諾なしに、衣類等を質入れした場合、妻の父から夫へ離縁させることが出来た。
・比丘尼寺へ駆け込み三カ年が経過した場合、親元へ引き取らした。
幕府が認めた駆け込み寺(縁切寺)全国でこの2ヶ寺のみ
・東慶寺 相模国(神奈川県)鎌倉郡松ヶ岡
・満徳寺 上州(群馬県)勢田郡新田庄徳川郷
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東慶寺 JR横須賀線 北鎌倉 |
東慶寺 本堂 |
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仍て件如(よってくだんのごとし)
証文などで最後に書く常套句、そのようなわけで、右に相違ございませんという意味。 |
足かけ三年
実際は、24ヶ月。
ただし、有料で天保九年(1838)当時で3ランクに分けられ上級の待遇では、30両したという。また、お経や座禅などもし、髪は剃らずに切ったらしい。
去り状を 取る内年が
三つふけ
去り状;離縁状 |
東慶寺への駆け込みは江戸末期の百五十年間に二千人を超えたと言われている。
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松岡山 東慶寺
弘安八年(1285)鎌倉幕府の執権 北条時宗夫人 覚山尼が創建。明治四年女性にも離婚請求権が認められ、縁切寺法は廃止される。
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