月島の渡し跡



勝どき橋


説 明 板

月島の渡し跡
所在地 中央区月島三丁目二四 わたし公園
「月島の渡し」は、月島一号地の埋立が完成して間もない明治二十五年(一八九二)十一月、土木請負業の鈴木由三郎が、南飯田町(現、明石町十四)から月島(現、月島三丁目)へ、手漕ぎの船で私設の有料渡船をはじめたことにはじまるといいます(『月島発展史』)。明治三十四年(一九〇一)、月島への交通の重要性を考慮した東京市が市営化を決め、翌三十五年、汽船曳船二隻で交互運転を開始し、渡賃も無料となりました。月島は東京の臨海工業地帯として発展し、明治四十四年には、乗客の増加に対応するために徹夜渡船が開始されました。
その後、昭和十五年(一九四〇)には勝鬨橋が架橋され、渡船の利用者は減少の一途をたどり、月島の渡しは廃止されることとなりました。
平成十三年三月
中央区教育委員会
 
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