浴恩園跡



『江戸時代のはじめ、築地には広さ五万坪にもおよぶ小田原藩稲葉家の名園「江風山月楼」がありました。その後、このうちの約二万坪が一橋家の所有となりましたが、寛政4年(1792)にいたり、寛政の改革をおしすすめる老中松平定信(白川藩)が譲り受けて下屋敷とします。定信は、一橋家の恩恵を受けたという意で、ここを「浴恩園」と命名し、みずから指示して庭園を整備しました。定信は、幕府の要職を退いた後、楽翁と号し浴恩園に隠居し、文雅の楽しみにふけったといいます。』
中央区文化財めぐり
中央区教育委員会
 
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