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説 明 板
新富座跡
所在地 中央区新富二丁目六番一号
新富座は万治三年(一六六〇)木挽町五丁目(現在の銀座六丁目、昭和通り西側)に創建された「森田座」を引き継ぐ歌舞伎の劇場でした。
森田座は代々森田勘弥(かんや)が座元で、天保十四年(一八四三)浅草猿若町(現在の台東区浅草)に移り、安政五年(一八五八)に「守田座」と改めました。明治五年(一八七二)には、守田座十二代勘弥が新富町に移転進出し、同八年(一八七五)に「新富座」と改称しました。
新富座は市川団十郎・尾上菊五郎・市川左団次などの名優を集めて積極的な興行を行いました。劇場は近代的な様式を取り入れた大規模な建物で「東京第一の劇場」と称され、周辺には歌舞伎関係者が多く居住し、一帯は芝居町となっていました。
明治二十二年(一八八九)に歌舞伎座が開場するまで芝居興行の中心的存在でしたが、大正十二年(一九二三)の関東大震災で焼失しました。
明治期の錦絵には海鼠壁(なまこかべ)の上に絵看板を並べた大劇場の様子が見え、往時の繁栄ぶりがうかがえます。
平成十六年三月
中央区教育委員会 |
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