鐵砲洲稲荷神社



説 明 板

鐵砲洲稲荷神社
所在地 中央区湊一ー六ー七
鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の信仰を集めてきました。
神社は、寛永元年(一六二四)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(一八六八)現在地に移転し、今日に至っています。
関東大震災により被害をうけた境内は昭和十年(一九三五)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向い合うように配置され、境内西南隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図絵」にも描かれた有名なものでした。
境内は昭和初期の神社建築とその配置の有様をよく伝えており、また、富士塚も区内唯一の富士信仰の名残りをとどめている点から、共に中央区民文化財に登録されています。
平成五年三月
中央区教育委員会
 
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