(左側の小さい石碑)
「人助け橋」のいわれ
大正十二年(一九二三)九月一日、突如として起った関東大震災は随所で火災を誘発し、そのため各所で橋が焼け落ち多数の痛ましい犠牲者を出した。しかし幸いにも明治四十五年に建造された新大橋だけは火災からまぬかれ、逃げ惑う一万有余の尊い生命を救い、かつ、遮断された各方面への交通を一手に引受けて、避難橋としての重責を十分に果たした。そのため、新大橋は多くの人々から「人助け橋」と呼ばれ永く親しまれるようになった。
なお、当時久松警察署の新大橋西詰派出所に勤務する羽鳥源作、三村光、今給惣克巳、植木機禅、伊藤盛雄、浅見武雄ら各警察官は一致協力して多数の避難者を誘導し、さらに携行してきた荷物を橋詰で適切にさばいて火災の防止と避難路の確保のために活躍されたという。一身を顧みず沈着勇敢に行動されたその功績は、永く後世に称えられるべきものである。
(裏)
東京都建設局
昭和五十二年三月二十七日
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