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説 明 板
都旧跡 伝馬町牢屋敷跡
所在 中央区日本橋小伝馬町一町目五番地先
指定 昭和二十九年十一月三日
江戸の牢屋敷は慶長年間(一五九六〜一六一五)に、常盤橋外からこの小伝馬町に移転した。代々大番衆の石戸帯刀が牢屋敷預りに任命されており、管理していた。そして、明治八年(一八七五)五月廃止されるまで存続していたものである。
「御府内備考」の記録によれば、その規模の広大であったことがわかる。すなわち、面積は二、六一八坪(八六三九.四平方メートル)あり、さらに、これの敷地の四方を堀でめぐらしていた。南西部に表門があった。獄舎は、揚座敷、揚屋、大牢および女牢部屋に分かれ、明暦三年(一六五七)の収容因人は一三〇人であり、安政大獄(一八五九)には吉田松陰ら九十余名が収容されたこともある。
昭和四十四年十月一日 建設
東京都教育委員会 |
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