べったら市の由来碑



碑   文

馬込勘解由の碑
(べったら市の由来)
徳川家康による江戸城築城のおり、寳田村が城の拡張により移転のやむなきに至った。譜代の家臣である馬込勘解由が寳田村の鎮守の御本尊を奉安して住民と共に現在地に移転した。
この大業を成し遂げた功により、勘解由は江戸の筆頭名主となり年間役料は二百十両の最高であった。後に三伝馬取締役に出世し、徳川家繁栄を祈願された恵比壽神を授けられ、寳田神社に安置して江戸の平穏を祈願した。
御神体は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられ、以来商業の守り神として十月二十日の恵比壽講の前夜に市が開かれるようになった。
恵比壽講に使う鯛や神棚などと共に江戸名物の浅漬大根が売られ、売り子が大根に付いた糀を若い女性の着物に近づけ「ほら べったら べったら 買わないで通ると着物にくっ付くよ」と戯れたことからべったら市の名がついた。
徳川家康公江戸出府四〇一年を壽ぎ、ここに馬込勘解由の功績を讃え碑を建立するものである。
 
日本橋地図に戻る 中央区マップに戻る



ビバ!江戸 all right reserved