碑文によると
天正年間(1573〜1592)に家康の関東入国の際、摂津国(大阪府の一部と兵庫県の一部)西成郡の漁夫30余名を江戸に移した。 漁夫は漁獲の一部を幕府に納め残りを一般に販売した。慶長年間(1596〜1615)に至り漁をするものとそれを商うものとが区分されて市場の形態が整った。 大正12年(1923)関東大震災で築地に移転するまでの300余年、江戸・東京における魚河岸の繁栄をほしいままにした。