芝口御門跡



説 明 板

芝口御門跡
所在地 中央区銀座八−八・九・十付近
ここの南方、高速道路の下には、もと汐留川が流れ、中央通り(旧東海道)には、昭和三十九年まで新橋が架かっていました。
宝永七年(一七一〇)、朝鮮の聘使(へいし)の来朝に備えて、新井白石の建策にもとづきわが国の威光を顕示するため、この新橋の北詰に、現に外桜田門に見られるような城門が建設されて、芝口御門と呼ばれ、新橋は芝口橋と改称されました。
城門は橋の北詰を石垣で囲って枡形とし、橋のたもとの冠木門から枡形に入って右に曲がると、渡櫓があって堅固な門扉が設けられていました。しかしこの芝口御門は建築後十五年目の享保九年(一七二四)正月に焼失して以来、再建されず、石垣も撤去され、芝口橋は新橋の旧称に復しました。
昭和五十二年十月
中央区教育委員会
 

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