江戸時代、医者になるには……だれでもなれた!?
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川柳「にわか医者三丁目にて見た男」三丁目は日本橋三丁目(現在の高島屋・日本橋丸善辺り)のことで江戸時代、薬種問屋が軒を並べていた。このように江戸時代医者になるのに試験も資格も必要無かったが、むろん技術が無ければ、患者も寄り付かないので、ヤブ医者も自然淘汰されたでしょうが…。
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江戸時代、商店の10軒に1軒は……くすり屋であった! |
文政七年(1824)に出版された「江戸買物独案内」(えどかいものひとりあんない)は江戸のショッピングガイドブックともいえるもので、2,622軒の商店が収録されていますが、その中でくすり屋は257軒で、なんと9.8%;約1割であった。ただし、あくまで当書物の中での割合で、江戸の全商店中の割合ではありません。有名店でも記載料を払わない店は載せなかったということのようです。 |
人気のあった売薬
一般の町人にとって重病でない限り、高額な医療費がかかる医者より市販の売薬で済ますことが多かった。
薬 名 |
効能および内容 |
反魂丹(はんごんたん) |
胃腸薬。富山の薬売りの薬。製法は中国より。 |
万金丹(まんきんたん) |
胃腸・解毒・気付け。伊勢の名物。 |
和中散(わちゅうさん) |
時候あたり、風邪。近江に本家。江戸では大森で売られたのが有名。 |
実母散(じつぼさん) |
婦人用漢方薬。産前産後の血の道の妙薬。煎じ薬。 |
奇応丸(きおうがん) |
熊胆を主剤とした丸薬。夜泣き、疳の虫。女の癪や腹痛にきく家庭常備薬。 |
外郎(ういろう) |
消化器疾患。痰切り、口臭消し。殿上人が冠の中に入れて珍重したところから透頂香(とうちんこう)ともいう。 |
薬を副業にする作家たち
山東京伝 |
戯作者 |
読書丸:強壮保健薬、記憶力増強 |
滝沢馬琴 |
戯作者 |
神女湯;婦人血の道 奇応丸 黒丸子;万能毒消薬 |
為永春水 |
人情本作家 |
歯磨き粉 |
式亭三馬 |
戯作者 |
延寿丹;のぼせ、痰・咳 金勢丸;強精薬 天女丸;避妊薬 江戸の水(化粧水) |
※京伝と三馬は自分の作品中に売薬をちゃっかり宣伝していた。
武将の死因『カルテ拝見武将の死因』杉浦守邦著
名 |
享年 |
病名 |
名 |
享年 |
病名 |
平清盛 |
63 |
腸チフス |
前田利家 |
62 |
胆のうがん |
源頼朝 |
53 |
破傷風 |
加藤清正 |
51 |
梅毒 |
北条時宗 |
34 |
肺結核 |
徳川家康 |
75 |
胃がん |
足利尊氏 |
53 |
廱(悪性はれもの) |
徳川秀忠 |
54 |
狭心症 |
毛利元就 |
75 |
胃がん |
伊達政宗 |
70 |
胃がん |
武田信玄 |
53 |
胃がん |
徳川家光 |
48 |
胃がん |
上杉謙信 |
49 |
食道がん |
徳川光圀 |
73 |
胃がん |
豊臣秀吉 |
63 |
尿毒症 |
徳川吉宗 |
68 |
前立腺がん |
江戸期文化人の死因『江戸文化人の死因』杉浦守邦著
名 |
職 |
享年 |
病名 |
名 |
職 |
享年 |
病名 |
中江藤樹 |
儒学者 |
40 |
気管支喘息 |
伊能忠敬 |
地理学者 |
73 |
慢性気管支炎 |
山鹿素行 |
儒学 兵学者 |
64 |
急性肝炎 |
塙保己一 |
国学者 |
77 |
胃がん |
井原西鶴 |
浮世草子作者 |
51 |
脳卒中 |
大田南畝 |
狂歌師 戯作者 |
74 |
脳卒中 |
松尾芭蕉 |
俳人 |
51 |
赤痢 |
小林一茶 |
俳人 |
65 |
脳出血 |
近松門左衛 |
浄瑠璃作者 |
72 |
慢性気管支炎 |
鶴屋南北 |
歌舞伎作者 |
74 |
慢性気管支炎 |
新井白石 |
朱子学者 |
68 |
老衰 |
十返舎一九 |
戯作者 |
66 |
脳卒中 |
荻生徂徠 |
儒学者 |
62 |
慢性腎炎 |
大愚良寛 |
禅僧 歌人 |
74 |
大腸がん |
荷田春満 |
国学者 歌人 |
68 |
脳卒中 |
頼山陽 |
儒学者 詩人 |
53 |
肺結核 |
賀茂真淵 |
国学者 歌人 |
73 |
慢性気管支炎 |
鈴木牧之 |
文人 |
73 |
脳卒中 |
加賀千代 |
女流俳人 |
73 |
肺結核 |
間宮林蔵 |
探検家 |
69 |
脳出血 |
平賀源内 |
科学者 戯作者 |
51 |
破傷風 |
滝沢馬琴 |
読本作者 |
82 |
心筋梗塞 |
与謝蕪村 |
俳人 文人画家 |
68 |
心筋梗塞 |
葛飾北斎 |
浮世絵師 |
89 |
老衰 |
林子平 |
政治経済論者 |
55 |
慢性腎炎 |
二宮尊徳 |
農民思想家 |
69 |
肺結核 |
円山応挙 |
画家 |
63 |
脳卒中 |
歌川広重 |
浮世絵師 |
62 |
コレラ |
本居宣長 |
国学者 |
72 |
肺がん |
梁川星巌 |
儒学者 |
69 |
コレラ |
上田秋成 |
国学者 |
75 |
老衰 |
緒方洪庵 |
蘭学者 |
54 |
肺結核 |
山東京伝 |
戯作者 絵師 |
56 |
心筋梗塞 |
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※これらの死因の病名は、無論当時わかっていたものではなく、日記や書簡に残された症状から現代の医学の観点から判断したものです。病名を見ると一部を除き、現代とさほど変わらないように思えるのと、皆さん長生きですね。
幕府 医者の役職(官医)
職 名 |
内 容 |
典薬頭 |
官医の最上席。従五位下。半井・今大路両家の世襲。(てんやくのかみ) |
奥医師 |
将軍とその家族や奥向きの人々の診療を司る。安政年間には13名いた。 |
番医師 |
江戸城表御殿に交代宿直して急病人の治療に備えた。 |
寄合医師 |
世襲の医家の生まれで、いづれは幕府の医官となるが、まだ見習いの者。平日は登城せず、臨時の場合に備えた。 |
小普請医師 |
寛政改革後、置かれた役職。幕府から扶持を受けて医術修行中の者。武士・町人を診療させて腕を磨かせた。 |
お目見医師 |
藩医や町医などの中で有能な者に御目見を許し、いずれ奥医師か番医師に任命した。 |
お広敷見廻り |
大奥女中の診察を担当した者。奥医師の息子が多かった。 |
小石川養生所
医師 |
町奉行の支配下にあり、定員は本道(内科)と外科が二人ずつ、眼下一人。 |
その他の医師
藩医 |
藩に仕えた医者。 |
町医 |
乗り物医者 |
町奉行から、乗り物(引き戸の付いたかご)に乗ることを許されていた、徒歩医者より格式が高い。 |
徒歩医者 |
歩いて往診した。共の者が薬箱を持ってついて行く。 |
※病院にあたる施設はほとんど無く、医者は病人の家に往診して治療していた。ただし、外科医は自宅で診察した。
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砂糖は薬!?
江戸時代、砂糖は薬種屋へ行かなければ買えなかった。
日本最古の医書『医心方』(984)に、中風に効き、甘蔗(サトウキビ)〔汁〕は内蔵の機能を和らげ、大腸を丈夫にすると記されている。そのような薬効を持つ薬種は、当然に高貴薬として扱われ、神仏の供え物としても用いられた。
砂糖の辞典より
ちなみに、現在も厚生労働省が定める医薬品の規格基準書である日本薬局方にも砂糖は収載されています。 |
江戸煩(わずら)い
江戸では精米された白米を食べる習慣が広まり、ビタミンB1不足からなった病気。辞書によると『脚気の江戸時代における俗称で、当時は奇病の一つと考えられていた。すなわち、江戸に仕官したり奉公に出た者が足にむくみが出て、気分が悪くなる症状を示すが、暇を得て江戸を去り、箱根を超えると自然に直ってしまうところから呼ばれたもの。』JAPONICAより
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時候あたり
季節の変わり目など,気候の変化が原因でおこる病気。
丸薬(がんやく)
練り合わせて小さな粒状(つぶじょう)とした薬。粉薬、煎薬などに対していう。 |
四ツ目屋
両国薬研掘(現在の東日本橋2丁目)にあった媚薬・淫具専門の薬屋。四目屋忠右衛門の店。
秘薬で有名なのが、「長命丸」と「女悦丸」。長命丸は長生きの薬ではなく長持ちの薬で、女悦丸は読んで字のごとし。
買いにくさ四度通って
やっと買い
頼まれたなどと
四ツ目屋買っている
今も昔も変わりません
能書きの通りじゃ
四ツ目安いもの
効き目はあまり信用されてません。
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江戸人を苦しめた「はやり病」〔伝染病〕
・痘瘡(天然痘)
・麻疹(はしか)
・流行性感冒(インフルエンザ)
・コレラ
・赤痢
・腸チフス
江戸時代、はやり病に有効な治療法は無かった。(天然痘に対する種痘は幕末より広がり始めた。)ひとたびかかれば、神仏か祈祷師に頼るほか無かった。なお、明治維新後、医療の現場で祈祷することが法律で禁じられた。
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中条流
江戸初期には中条帯刀を祖とする婦人科の流儀であったが、後にはほとんど堕胎専門医となり、中条と言えば堕胎を意味するようになった。
ちなみに、経口避妊薬として、「朔日丸」(ついたちがん)というものがあり、毎月の朔日に服用すれば孕まないと言われた。
持薬さと朔日丸を
後家はのみ
中条は這入り勝手を
三所(みとこ)あけ
中条の少しこなたで
駕篭を出る
江戸生業物価辞典より
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江戸の医療は対症療法
根本治療ではなく、痛みなどの表面的な症状をおさえる療法であった。
『江戸人は病気がからだのある限定した場所からおこるとは知らなかった。からだも心もいっしょに全身が病むと信じていた。江戸時代、医者ができることは病人の痛み、苦しみを除くこと、あとは本人の養生を助けて、自然治癒力を養うことであった。』※
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・匙(さじ)を投げる
医者が患者を見放す
から;物事をあきらめる
・匙加減
薬の調合の具合
から;手加減の意
これらの匙は漢方医が使う薬匙(やくさじ)でこの匙だけで薬の量を量って調剤した。なお、蘭方医は調剤するのに秤を使った。
とどめをば余人にわたすさじ加減
回復の見込みなしと見るや、他の医者を薦め、責任逃れするのも医者のさじ加減。 |
「養生訓」
貝原益軒が記した江戸の健康本のベストセラー。
その内容とは
『食事を節制して、適時、適度な運動を行い、房事に節度を保ち、日常の起居動静を規則正しく行い、適正な衣服を用い、家屋については配置、季節との関わりに気を配り、病については素人といえども医学の大意を知り、医者のすることの善悪を判断できるようにすべきである。』※
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※「絵で読む江戸の病と養生」
酒井シヅ 講談社参照
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