旗本は上司の許可なく旅行は勿論外泊も出来なかった! |
旗本は万一の場合に将軍の元に駆けつけるのがその使命であった。よって禄高により与えられた屋敷以外に家を持つことは出来ない。常にその所在を明らかにしておかねばならなかった。
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将軍と直接 主従関係にあるもの(直参:じきさん)で、知行1万石未満を旗本・御家人と呼んだ。
大名は1万石以上。
なお、将軍から見て、家来の家来は陪臣(ばいしん)という。
家禄に応じて 軍役 (主君に対して負う軍事上の負担)が課せられた。
100石:草履取り×1、槍持ち×1
200石:馬、馬の口取り、挟み箱持ち、槍持ち、供侍
その他禄高により、立弓持ち、甲冑持ち、鉄砲持ちなどが必要数。しかし、実際は経済的にまた泰平の世の中では規定通りの数は揃えていなかった。
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旗 本(はたもと) |
御 家 人(ごけにん) |
御目見得
(将軍に拝謁) |
○ |
× |
およその人数(江戸中期) |
5,200名 |
17,400名 |
最高職 |
町奉行・勘定奉行 |
徒目付(かちめつけ) |
俸禄形態 |
約4割が知行取り |
ほとんどが蔵米取り |
旗本・御家人の階層分布
円グラフ;「江戸役人役職大事典」新人物往来社
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従来より「旗本・御家人の約半数は無職だった」とお伝えしてきましたが、誤りであることに気づきましたので、お詫びして訂正させていただきます。
旗本5,398人
御家人17,399人
無役
寄合273人
小普請2,482人
正徳二年(1712)
「御家人分限帳」鈴木寿より
以上から無役は全体の12.08%
10人に一人以上は無役だった。
2015.1.25
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◆小普請(こぶしん)
禄高三千石以下の非役の旗本・御家人。
◆寄合(よりあい)
禄高三千石以上の非役の旗本。
中でも本来は大名クラスの者を交代寄合(こうたいよりあい)と言って、知行所に住居し参勤交代を許された。 |
旗本
元来は軍の陣中において、大将がいるところをいい、将軍直属の有事の際の軍隊を指す。 |
俗に「旗本八万騎」といわれるが、左表の通り合計しても八万にはほど遠い。しかしその陪臣の数も入れるとそれに近い数字が出るかも知れない。 |
徒目付
目付の支配に属する。
監察及び城中における規律を任務とする。
禄高:百俵五人扶持 |
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