ビバ!江戸
廻船問屋の井筒屋と結託し私腹を肥やす、あの「お代官様」は……思ったより身分は低かった!?

代官は勘定奉行の配下で、身分は旗本でも最低ランクの下っ端役人だった。とてもあのようなギンギラの羽織袴を着れる身分ではなかった。とはいえ、お芝居上悪代官が質素な身なりでは様にならないことも確かですが…


江戸の代官


代官とは江戸幕府直轄領(天領;幕領)を支配する地方行政官。

代官の職務内容

地方(じかた)
・年貢の課税・徴収
・河川・道路・橋等の普請
・宗門人別帳の作成
・新田開発
・災害時(洪水・地震)及び凶作時の飢饉の対応
公事方(くじかた)
・警察・裁判(治安)
裁量権は小さく、軽犯罪以外は口書(調書)を添えて幕府勘定所の決済を仰いだ
幕領高の分布
天領分布グラフ
        天保9年(1838)
郡代と代官
 
身 分
職務内容
役高と人数
郡代(ぐんだい) 旗本(布衣:ほい) 同じ。
相違は支配地の大小。
代官…5〜10万石
郡代…10万石以上

400俵〜
(3〜4名)
代官(だいかん) 旗本(平士:ひらざむらい)
150俵〜
(40名前後)

代官の下僚(職務内容は同じ) [下僚;部下の役人]
手付(てつき) 御家人 寛政期(江戸中期〜後期)に作られた役職。
30俵2人扶持
手代(てだい) 一般人(農民・町人)から登用
苗字・帯刀が許される
手当は安く身分保障がないため、不正に走りやすかった。
20両5人扶持

代官の入れ替え
代官の入れ替え

 郡代・代官所配置図

諸藩の代官
彦根藩井伊家世田谷領代官屋敷表門
彦根藩井伊家世田谷領代官屋敷内白州跡
彦根藩井伊家世田谷領 代官屋敷表門
東京都世田谷区世田谷1丁目29番18号
東急世田谷線「上町」徒歩5分
 右代官所内 白州跡
 代官所から1km以内のところに井伊家菩提寺 豪徳寺がある

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注記
勿論、私たちの代官に対するイメージは、ドラマや小説からのものによるところが大きい。
不正を働く代官やその下僚がいたのも確かだが、農民を思いやり仁政を行った代官も少なからずいた。


補足
天保期、
全国総領地:3.055万石
 大名領:73.6% 2.248万石
 旗本領:11.6% 354万石
 禁裏・寺社領:1% 33万石
 本稿 天領:13.7%419万石
幕府直轄領は開府当初は200万石、大名の改易、転封により、江戸中期には400万石、以降幕末まで400万前半で推移。

補足
大名預かり地
近隣の藩に預けて年貢米の徴収を委託した。
左円グラフの内18.2%は大名預かり地分。

補足
江戸幕府はこれらの天領(直轄領)以外にも、政治・経済・軍事上重要拠点を遠国(おんごく)奉行に管轄させた。
京都・大坂・駿府・奈良・堺・伏見・大津・山田・長崎・佐渡・新潟・函館・日光・下田・浦賀・神奈川

補足
江戸時代 代官所は陣屋(じんや)、天領は御料所あるいは御領と言った。




補足
綱吉時代から吉宗の時にかけて、幕府財政立て直しと支配力の整備・強化のため大幅に代官の入れ替えが行われた。
注記
*一律的ではなく吉宗の時には農民から治水・土木や農業経営に優れたものを、江戸後期には儒学者や様々な階層から人選し代官に登用した。





補足
郡代役所
中期以降4カ所に固定
関東郡代
江戸馬喰町
・美濃郡代
美濃国(岐阜県南部)笠松
・西国郡代
豊後国(大分県)日田
・飛騨郡代
飛騨国(岐阜県北部)高山
◎序列順

補足
この頁で説明してきたのは、江戸幕府の代官ですが、諸藩にもそれぞれ幕府代官に準じた代官がいた。
左写真は江戸中期から幕末まで代官 大場家が世襲した代官所で表門と主屋が国の重要文化財に指定されている。

 

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